妻の闘病記(2001)
@入院 A転院 B告知 C検査 D治療-1 E治療-2(退院) F治療-3(外来)
2000年10月:体調不良を訴え、婦人科にいく。が、特に異常はないと言われる。
また、「ガン保険に入ろうか?」とも言い出す。「平気だよ。」と笑い飛ばした。
今、思うとこの頃から妻は身体に変調を感じていた訳である。
この時に「ガン保険」に入っていれば、今の家計の状態は救われてた訳である。(結果論!)
2001年2月11日:バレーボール大会に参加。大会後の打ち上げで気分が悪くなり途中から横になっていた。
2月12日:次男のサッカーの試合の応援中に、妻から「お腹がいたい。おかしい。」と携帯に電話。
慌てて戻り、近所の**病院に行くが「バレーの筋肉痛でしょう。」と湿布薬を貼っておしまい。
「なんだ、筋肉痛か」で笑っていたが、本当に笑い話だったらどんなに楽だった事だろう。
2月13日:腹痛がおさまらず、再度**病院へ。検査の結果は「腸閉塞」からくる尿管圧迫と診断される。
カテーテル挿入が決まり、入院を言われる。慌てて入院準備をしに走る。
2月14日:「せっかく入院しているから、レントゲン・CT検査もしましょうと言われた」と明るく話す妻に、
家のことは心配しなくていいからノンビリしていいよと返す。
この頃は、2・3日の入院と軽く考えていた。
2月18日:サッカー少年団の引率をしていると長男から「病院から電話があって、お父さんに来て欲しい」との事。
別に何も考えず「退院時期の事かな?」と思いつつ、ナースステーションへ行く。
N先生からCTを見せられて「大動脈の周りに大きな腫瘍があります。これが尿管を圧迫していました。」
「土曜日に血液内科の先生が来て見てもらいました。奥さんは悪性リンパ腫です」
私は全然意味が分からず[ぽかん]としてると、「悪性リンパ腫は血液のガンです」とやさしく説明してくれた。
瞬間、「血の気が引く」「目の前が音をたてて崩れていく」という言葉では知っていた状態になる。
かろうじて「あとどれくらい生きられるのですか?」と聞くのが精一杯。
「検査しないとわかりません。」と言われ涙があふれてきた。涙を拭きトイレで顔を洗い気持ちを切替える。
妻の病室に行くと「え〜先生のお話、もう聞いたの?いっしょに聞きたかったな。で、何だって?」と聞く妻。
「今度検査だって」と答え
「じゃあサッカーに戻るから」と言い、涙を見せないように病室をあとにした。
帰りに次男のサッカーをしている姿をボーっと見て、妻の死を考えてしまった。
クルマで涙をこらえつつ少年団の試合会場に戻り、少年団のにぎやかな子供達をクルマに乗せて帰った。
たいした病気ではないとたかをくくり、すぐ退院する気だったので、見舞いに行かなかったが、妻の病名を知り
慌てて「え〜、行くの。疲れてるのに。」と面倒がる子供達の尻をたたく感じで、妻の見舞いに行く。
妻は「わざわざ来る事ないのに。」と言いながらも嬉しそうだった。
病院から帰り一人になると涙が止まらず、近くの無人洗車機にクルマを進め、大声で妻の名前を叫ぶ。
会社では暇な職場にいるので、一日中いろんなホームページを見て、時間つぶしをしている人間だったが
妻の病気=悪性リンパ腫については、インターネットで検索する事すら忘れていた。
今は毎日見ているサイト「悪性リンパ腫と戦う会」に出会うのは、数ヶ月以上経ってからだった。